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樋口 清之  /  HIGUCHI Kiyoyuki

溶け出すように

2013.5.

私は「人生を彩るカケラは日常に散らばっている」と思っています。
つい見逃してしまいそうな小さなカケラも拾い集めるように写真を撮っています。
それはどんなに小さなカケラでも、一つ一つ積み重ねる事で人生を彩りあるものに
してくれるという思いがあるからです。

例えば強い光。
いつもと少し違う世界が見えるようで惹き付けられる。
でも、目が眩み何も見えなくなって行く。
もっと違う世界を見たいという好奇心。
何も見えなくなるのではという不安。

一瞬の出来事でも、色々な感情が生まれてくる。
それは、自分でも気づかなかった私が溶け出してくるような感覚。
生きていれば良い事もそうでは無い事もあるのは分かっています。
そういった事も含めて、また一つ私はカケラを見つけたような気がしました。

今後、どんな自分が溶け出すのかは分かりません。
でも目を背けずに見つめ続けていたいと思っています。

○作品仕様

 

プリント:アーカイバル・インクジェット・プリント
印画紙種類:ピクトラン 局紙

      エプソン 半光沢紙
印画紙サイズ:A1、A3ノビ、A3、A4
作品点数:25点

日々から日々へ

2015.5.

私たちは、流れるような時間の中を生きています。

今日が昨日に変わり、明日が今日になるように目の前にある「今」が瞬く間に「過去」に変わっていきます。そんなふうにして、私たちは生きた時間分だけの過去を持っています。

だから私たちは、自分を見失うことなく未来へ向かって生きていけるのだと思います。
しかし、私たちは過去の全てを記憶することは出来ません。思い出したいのに思い出すことの出来ない記憶もあれば、忘れたいのに忘れる事の出来ない記憶もあります。記憶は不確かで、全てを思い通りにコントロールする事も出来ないのです。だから私は、今、目の前を通り過ぎようとしている瞬間を、逃さず記憶として留めたいと願い写真を撮っています。

今回のモチーフである「家族との時間」は私がこのように考えるきっかけとなりました。
それまでの私は写真に対して、より強く、より美しく、完成度を求め、誰もが目にした事のないような写真を追い求めていたように感じます。しかし、家族の死や新たな家族の誕生といった変化を体験する中で、自分がいかに無力な存在であり、現実をただ受け入れ、またやってくる日々を精一杯生きることしか出来ないことに気付かされます。

すると当たり前の存在であったはずの家族は、とてもかけがえのない存在であり、ありふれた時間であった家族との時間も特別なものとして感じられるようになりました。やがて、写真そのものに変化が現れ、ありのままの「今」を撮す事が増えていき、これらには、私の感情がとじ込められている、そんな感覚を得る事ができました。そして、今までとは違った写真の魅力に出会えたように感じられたのです。

いつの間にか、撮りためられ、束になった写真を見つめ直していると、一つ一つの出来事に同じく価値があり「生」と「死」にも意義があるという事、直面した時には理解することができなくても、日々を重ねる事で、理解できる事もあるのだと知りました。そして、過去・現在・未来の自分を受け入れる事が重要なのではないかと考えるようになりました。
 
現在の我が家はものすごい勢いで成長する息子と共に嵐のような生活を送っています。
早く嵐が収まるのを願いつつ、嵐が収まれば、その静けさに寂しさを感じるかもしれない、想像すると複雑な心境になります。しかし、これが今を生きているということなのだと思います。昨日と同じ今日も、今日と同じ明日もやってこないということを噛みしめて、日々を積み重ねて行きたいと考えています。
沢山のかけがえのない記憶が生まれる事を期待しながら。

○作品仕様

 

プリント:アーカイバル・インクジェット・プリント
印画紙種類:ピクトリコ ソフトグロスペーパー
印画紙サイズ:A3ノビ
作品点数:34点

毒入りのサンドイッチ

2015.5.

私たちは、生まれながらにして吐いて捨てるほどの矛盾に囲まれ、
騙され続けて生きている。
何も感じず、疑問も抱かない。
社会で生きるには、そんな免疫を持たずにはいられない。
矛盾が矛盾で重ねられ常識になって行く。
それが、社会のシステム。

矛盾は解消されることなく、泡のように膨れあがり、弾け飛ぶ日を待っている。
あの日のように。
次々に溢れ出す矛盾。常識が常識ではなくなって行く。
あの時、湧き上がった疑問や怒りの感情は、騙される事をただ受け入れていた
自分自身へ向けての物だったのではないか。
そんなふうに私は感じた。

でも、同じ事の繰り返し。
過ちを繰り返さない為に作られた常識は、また新たな矛盾を作り出している。
私たちが生き続けている限り、矛盾は生まれ続ける。
真実を知る事は、とても困難で、矛盾の無い世界を作る事なんて出来るはずもない。
全てを受け入れ、毒が仕込まれていると知りながらも、社会が差し出す
サンドイッチを黙って食べて続ける方が、無難な生き方なのかもしれない。

ただし、私は何一つ変える事が出来なかったとしても、
真実に目を向けない事と何も出来ない事は違うと思っている。

 

*毒入りのサンドイッチ:序文と結論に否定的報道をおいて、肯定的な報道を
挟み込み、肯定的な報道の意義を低下させる、という情報操作の手法の名称。

○作品仕様

 

プリント:アーカイバル・インクジェット・プリント
印画紙種類:エプソン 写真光沢用紙
印画紙サイズ:A2、A3ノビ
作品点数:38点

○作品仕様

 

プリント:インクジェット・プリント
印画紙種類:エプソン 写真光沢用紙
印画紙サイズ:A2、A3ノビ
作品点数:38点

景色から情景へ、そしてそれらが風景に変わる

2017.2.

私たちは日々の生活の中で、多くの景色を目にしている。
しかし、それはただ通り過ぎるかのように眺めているだけで、そのほとんどが記憶にも印象にも残っていない。しかし、なんらかのきっかけで、眺める景色から、感情が動かされた時、それは無関心で無価値な景色ではなくなるのではないかと思う。

例えば今回のモチーフである高速道の建設。
それまで、全く興味も関心もなかった景色だったのに、工事が進むにつれてその姿は変わり続ける。粛々と進む工事と大きく変えられていく景色、その過程が異様だったし、そう思うと人間の幸福追求という欲望が自然を蹂躙しているように見えた。
でも、私も、人間の幸福追求という欲望がもたらした恩恵を受けている一人と考えた時、それはただのノスタルジーで、変わることを恐れているだけだとも思えた。すると、人間が手にした科学や技術という大きな力。そして、それらを用いて作り出したもの。それは力強く、美しいとも感じた。
何が正しいのか、それらを眺める度に分からなくなった。ましてや、人間の幸福とはいったいなんなのだろうなんて…。そういった、相反する様々な感情や疑問が、日々変わっていく景色を眺める度に生まれ、情景となって私に蓄積されていった。

現在、工事は終了し、日本中どこにでもあるような均一化された風景を私は今、眺めている。
失われてしまった物はもう二度と元には戻らない。
景色は変わっても答えは何も見つからない。一度、湧き起こった疑問が消える事もない。
でも、問い続けなければ、この感情も、あの日見た景色もいつか忘れ消えてしまう。
そして、また、ただ通り過ぎて行くだけの風景になってしまうと今は思う。

○作品仕様

 

プリント:アーカイバル・インクジェット・プリント
印画紙種類:ピクトリコ ソフトグロスペーパー
印画紙サイズ:A2、A3ノビ
作品点数:12点

プロフィール

1983年 福島県に生まれる。
色々と想像するのが好きな子供だったと聞いています。
高校生の時に音楽に目覚め一時、ギターに夢中になる。
そんな日の明け方、朝日に照らされた街を見て感動。
小さな事だったと思うが「もっと世界に触れていたい」と思い立ち散歩をする。
その後すぐに、ただ散歩するだけではもったいないと思いカメラを購入。
写真を撮り始める。
以来、色々な出会いを得ながら今も散歩は続いている。

主な出展、作品展

2013年5月

個展「溶け出すように」
2015年5月

個展「日々から日々へ」
2015年12月

Sha-gaku in Fukushima 福島テルサ 福島市
2016年5月

個展 「毒入りのサンドイッチ」
2017年1月

Gallery Selection 2016


その他多数の出展歴有り、 形式は、個展以外は企画グループ展
会場は、「Sha-gaku in Fukushima」以外はいずれもカロス・ギャラリー

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