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木戸 孝子  /  KIDO Takako

The Ordinary Unseen

2010.7.

大都会の孤独とストレスの中でもがいていた私は、悲しい時、寂しい時、くやしい時、とにかく何でもいいから一枚だけ 写真を撮ろうと決めた。その繰り返しの中で、忙しい毎日で見えなくなっていた美しいものが、だんだん見え始めた。

釈尊が説いた法華経の中に、“衣裏珠(えりじゅ)の譬え”、という話が出てくる。 “ある貧しい男が、裕福な親友の家に行ってごちそうになり、酒に酔いつぶれて寝てしまった。急に出かけなければ ならなくなった親友は、友情の印しに、値段のつけられないほどの高価な宝石を、酔いつぶれている友人の衣の裏に 縫いつけて、出かけた。そんな事とは知らずに、貧しい男は、衣食を求め、長い間あちこちいろんな国をさまよい、 苦しい生活を続けていた。やがて、裕福な親友は貧しい男に再会し、彼の衣の裏に、価値の付けられないほどの宝石が 縫いつけられている事を知らせると、それを見た彼の心は喜びに満たされる。

 

” 毎日の平行線上に広がる“見えない日常”。いつも目の前にあるはずなのに、簡単に見逃してしまう、日常に潜む美しい現実。 その発見は、私はこの“貧しい男”のようだった、と気づかせてくれるきっかけとなった。 何かを手に入れたくて、高知のいなかを出て、都会へ都会へと行った私は、もうすでにたくさんの幸せを手にしていた。

○作品仕様

 

プリント:ゼラチン・シルバー・プリント
印画紙種類:イルフォード・マルチグレード

      (ウォームトーン・バライタ紙)
印画紙サイズ:16×20インチ
作品点数:22点

The Ordinary Unseen -Tohoku-

2012.5.

私の住む仙台市で地震が起こり、津波が来た。被災地に入ったけれど、最初は何を撮ればいいのかわからなかった。ただ、祈りながらシャッターを切るだけだった。でも、いったん撮り始めると、悲惨な場面だけ撮って終われない、と思った。

何度も撮影に通ううちに季節はめぐり、春になると、塩害をものともせず緑の雑草が茂ってきた。初夏には海から心地よい風が吹き、ここはどんなにか気持ちの良い場所だっただろう、と想像せずにはいられない。梅雨明けの日には、海もがれきも真っ赤な夕日に包まれた。きれいだった。そこには、何物にもくずせない美しいものが確かにあった。

きれい、と感じながら撮っていった私の作品には、次第にきれいな写真が増えて来た。被災地で撮影をしながら、きれい、と感じるのはどうなのか?という気持ちもあったが、自分の目で見て感じたものを撮り続けよう、と決めていた私は、迷いながらも、自分の感覚に従った。

そんな頃、仙台市在住で、仕事の合間を縫ってボランティア活動を続けている女性に、作品を見せる機会があった。私の写真を見た彼女は「きれいな東北を撮ってくれてありがとう。」と言って、涙を流し始めた。「私たちが住んでいるありのままの東北はとても美しい場所なのに、テレビや新聞に出るのは、がれきや悲惨なとこばかり。そんなとこばかりじゃないのに、、、。」彼女の言葉は私の迷いを晴らした。

目の前の現実は破壊されたものばかり。でもその奥に、“壊せない美しいもの”が確かにある。絶対に壊されることも創られることもない。ただ形を変えて存在し続ける。このエネルギーの特性を考える時、生命は永遠だと思う。お父さんとお母さんを津波で亡くした、漁師のよっちゃんは、こう話してくれた。「絶対忘れられないことだから、忘れずに、いつも胸に抱えて、前向いて進んでいくから。」体は亡くなっても、生命は一緒に生きている。愛する人々との、命と命の深いつながりの前に、生死のボーダーラインは存在しないのかもしれない。私が確かに感じた美しいものは、永遠の生命そのものの輝きなのでは。

夏の終わりになると、海辺で、夕涼みする人を見かけるようになった。秋の早朝には、釣り人たちが、のんびりと時を過ごしていた。がれきのまだ残る海辺の荒れ地。この現実が、日常になってきた事を感じた。ここからなのかもしれない。現実を受け入れて初めて、次にどうするか考える事ができる。次の一歩が踏み出せる。非日常のように思えた被災は、いつしか毎日の事となり、私自身もまた、ライフワークである、”The Ordinary Unseen” - 見えない日常 – を捉えようとしていた。東北で今またこのテーマに戻ってきたのは、悲しみの中で、あえて希望を選択して行くための私の挑戦なのだ。今一瞬一瞬の希望の選択は、希望の未来を作っていくと信じている。

○作品仕様

 

プリント:アーカイバル・インクジェット・プリント
印画紙種類:ハーネミューレ フォトラグ
印画紙サイズ:A3ノビ
作品点数:28点

プロフィール

1970年 高知県に生まれる。

大学卒業後、日本においてプロラボ勤務を経てフリーフォトグラファーとして独立。

2002年 渡米。

2003年 International Center of Photography(ニューヨーク、アメリカ)卒業

その後、ウェブマガジン・ニューヨーク特派員、B&Wプリンター、リタッチャー、

高知新聞への連載等を行いながら、自身の作品制作、発表を行う。

2008年 帰国後、現在は宮城県仙台市に在住し活躍中。

主な出展、作品展

2004年

グループスライドショー Krakow Photomonth  クラコー、ポーランド

2004年

グループ展 “New Work From New York”, Lumiere Gallery マニラ、フィリピン

2006年

個展   “Things Past”, Rowe Chiropractic Offices ニューヨーク、アメリカ

2007年

グループ展 “Photography26”, Perkins Center for The arts  ニュージャージー、アメリカ

2007年

グループ展 “Town&Country”, Project Diversity Queens, Studio 6 Gallery ニューヨーク、アメリカ

2008年

3人展  “2007 Juried Exhibition Winners”, Newspace Center for Photography オレゴン、アメリカ

2010年

個展  “The Ordinary Unseen”  Kalos Gallery  宮城県仙台市

2012年

出展  “生きる” 富士フォトギャラリー  東京都 (3/2-15)

2012年

出展  東日本大震災追悼写真展  NOAM Gallery ソウル、韓国 (3/5-14)

2012年

出展  “生きる”仙台展 仙台市博物館ギャラリー  宮城県仙台市 (3/27-4/8)

その他、アメリカにおいては、各都市で作品展を行う。国内においては、1996年より渡米までの間、毎年のように、個展、グループ展を行う。

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